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Dr.Toeの日曜日

災害とアマチュア無線

阪神淡路大震災を患者と医師とアマチュア無線家の立場から検証する

    東條純一(JH3AEF)   故田路嘉秀(JA3XZW)

震災の朝、被災地に生活していた医師達も同様にパニックに陥った
(全CASE アンケートに記載されたものを転載)
CASE 1  
当日 家族、家屋の状況の把握 → 外部とは連絡法なく隔絶 → 07:00−10:00 近隣のけが人の処置 →10:00−12:00 近くの病院に応援 →午後避難準備 避難 → 翌日 医師会より検死依頼を受け出動
当初役だったもの ラジオ、ペンライト、軍手、バール

CASE 2
足の踏み場もない家の中でラジオ、電池を探したが、無茶苦茶に飛んでしまいわからない。大地震と知る →水の確保を考え外に出る→事の重大さが解る→6時過ぎまで電話がかかったが以後連絡途絶。

CASE 3
夜が明けてから周辺の状況を徒歩にてようやく確認。自宅も、周辺の家屋も壊れ電話もかからず、情報は全く無く、勤務先の事情を知るすべも無く数時間ただうろうろしていた。勤務先まで歩いて行こうかとも思ったが、壊れた自宅と、◯◯区に住む母もほっておけず、結局勤務には出なかった。

CASE 4
質問が客観的でクール過ぎる。全壊や火災も多発し、電気も水道も、ガスも無い。負傷者死人もあり、ラジオの情報だけが生き地獄のような中で手足をもぎ取られ、ただうごめくだけだった。全体が解りだしたのは1−2日後、それからの心身の疲労はあったものでなければ解らない。

CASE 5
地震の朝、倒れている家の前でぼう然と泣き崩れているお婆さんが、中にいる人の助けを求めているのに、新聞社の腕章をつけて助けもせず写真をパチパチ取って笑いながら回っている報道機関には本当に腹が立った。

CASE 6
午前5時46分のことでした。ゴー、ガタガタ・・・、ミシミシ・・・何とも言いようのない轟音に目が覚めると、身体が1m程も浮き上がり、左右に大きく揺れました。天井から照明器具がバサ・・・という音をたて落ちるのと同時に、足許に重いものが(後でタンスとわかる)ふとんの上にかぶさっていました。地震がおさまり、すぐにベッドから降りてみたものの、停電で真暗闇、あたりはガラス片などで危険一杯、とても手さぐりでは無理とあきらめ、夜の明けるのをじっと待つことにしました。6時半頃になって、東の空が明るくなりかけたので、部屋を出ますと、廊下では破れた障子やガラス片、横倒しになった本箱からほうりだされた本やアルバムなどで、足の踏み場もありません。恐る恐る隣室へ向かいましたが、部屋は大きく傾き、日頃見慣れた庭の木の枝の目線がいつもより上の方にあります。階段を降りようとすると、大きな壁が落ちていて行手を遮り、降りられないことがわかりました。やっと事態の深刻さに気づき、”これで火が出れば・・・”と思うと生きた心地がしませんでした。「救助を待つしか方法がない」と自分に言い聞かせながら、不安の時間を過ごすこと約一時間(7時半頃)待ちに待った時が来ました。隣家の塀を乗り越え、裏庭に来てくれた2人の消防隊員に梯子で救出してもらったからです。
家内と2人、着のみ着のままで、自宅の表門前に立つと、昨日までの診察室や居宅が三棟とも無惨にもペチャンコになり、一階が無くなっています。これを見てよくぞ助かったという幸福感と、一瞬頭をかすめた「自分の人生は終わったのでは・・・?」という失望感が交錯し、将来を考える気力もなく、寒さにふるえながら道路にへたりこんだのでした。途方にくれているところへ、長男一家がかけつけてくれました。そして避難所へ連れて行ってもらい、一息入れることができました。
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