産婦人科医暦45年のDr.Toeによる趣味のサイト

産婦人科医 Dr.Toeのeトピア
トップページへ戻る



Dr.Toeの日曜日

恋しき山々の頁

生 駒 山


生駒山、古人はその山並みが疾走する駿馬の背を思わせることからこの名前を与えたのだと言われている。
確かに言われてみればそのようにも見える。大阪府、いや私の住む町、東大阪市と奈良県を隔てる山並みでもある。
最高部642mであるから、山として決して高くも険しくもない。麓は森林公園として春秋をとわず市民に憩いの場を提供するとともに、気軽に、安全に楽しむことのできる 幾多のハイキングコースも整備されている。尾根筋は立地の良さから放送関係を始め公私機関の通信塔がやたら目につくようになった。

頂上には奈良県側からケーブルカーも通じ、戦前から関西の代表的な遊園地としても賑やかであった。
太古の時代、大阪湾は西からこの山の麓まで入り込んでいた。波洗い地蔵など、その由来を示す旧跡も少なくない。
海を目前にし、背後に生駒山を控えた懐には多くの人が住みつき快適な生活をしていたのであろう。それぞれの時代の史跡古刹も多いが、山肌は西に比較的急峻で、東、奈良県 側はおおむねなだらかである。
西面、大阪側の山肌は平野部より人家がせまってきてはいるものの、人工的に大きく変化を 与えられた様子は無く、かといって大規模に植林された様子もない。時代に応じ そこに住む人々の生きざまを示す痕跡をそこかしこに残す山肌なのである。

大木の大部分は樫、クヌギ、ときにはヒノキ、、、であり、根元近くでは抱えきれない老木もある。高木の見られないところでは、山つつじや紫陽花、椿などが笹と混生し、 所によっては人が持ち込んだのであろう、あまり手の入らない竹林をなすところもある。

ハイキングコースと定められないところに踏みいれば、 棘の鋭い低木に背の高い笹混じりの厳しい藪の中を、這うように漕がなければならない場所も多い。

高度400〜500m付近の支尾根直下には、各所に非常に細かい砂礫質の斜面がみられ、前後への移動に窮する個所が少なくない。

谷は全て短く、雨後でもなければ豊富な水量は望むらくも無い。しかし、近代工業化が進む以前には、少ない水流を利用 して水車を回し、主に薬草から散薬を加工したり、 製粉などの産業が盛んであったなごりも数多く残されている。

近郊の山ゆえ治水工事は早くから進められ、幾多の堰堤が建設されている。とにかく水量が 少なく谷の浅いこの山では快適な沢登りなど無理な注文であろう。

それでも尾根と沢は登高のための重要なルートであり、それなりに、イメージを豊かに描き ながら、より高所へとつめていく歩き方は、低山あるいは近郊の山とはいえ、幾通り ものルート設定が可能であり、自由になる時間の少ない都会派には、また、時間をかけて 出かけることのできない山恋人には格好の足慣らしの場、ストレス解消のフィールドでもある。

まだ小学低学年のころ、親父に誘われて登り始めたあのころ、戦争で手入れもままならず荒れ 放題の登山道と遊園地、傍らには戦闘機の残骸が横たわり、今の活況からはおよそ 想像もつかない荒涼たる山頂であった。それでも喘ぎながら登って初めて目にした大阪平野、眼下から遥か彼方まで続く田畑の先に、ただ一つポツネンとはっきり見ることの できた小高いものが大阪城だと教えられたあの時の感激は今も目に焼き付いていて消えていない。

振りかえって、今、麓から彼方まで、高低さまざまな建物で埋め尽くされた大阪平野には、大阪城の姿はいくら探せど見つけることは出来ない。一面黄金色に染まった田んぼも、 白く蛇行する淀川の川筋もすべてコンクリートと金属のカーペットに覆いつくされてしまった。しかしその奥に北摂から 西に連なる六甲連山、そして南には葛城、金剛、 紀泉高原へと遥かに伸びる山並み、その向こうにポッカリ浮かぶ淡路島の姿だけは今も昔のままの姿を留めている。


上図は生駒山中から遠く明石海峡を望む。左手奥が淡路島、右手の山並みは六甲山系の山並み。かすかに明石海峡大橋の橋げたが見える。
コンクリートジャングルと化した大阪平野

私の山行はこの生駒山を振り出しに近郷の六甲、比良、鈴鹿、大山と季節を問わずフィールド を広げていった。なかでも大峰の山と谷は四季を通じて最も繁く足を運んだ お好みのスポットであった。仲間も充実し、それなりの技術も習得し、体力的にも絶好調だった あのころ、親や山岳部監督の心配を知る由も無く、フィールドは北アルプス穂高から剣、更には南アルプス、そして積雪期の岩壁にと至極当然のようにエスカレートしていった。

何と親不孝者であったことだろう。家へは何事もなかったようにぶっきらぼうに帰宅し、翌日には次の山行が脳裏で渦巻いていた。山で起こったあのこと、身も凍るようなあの 出来事、地上数百メートルの空間をキリキリ舞する私の体から伸びるザイルの先で必死に落下を食い止めてくれた相棒の口からは、そして当然のことながら私の口からも、何処に 向かっても発せられること無く今日に至っている。そして当たり前のように互いに平穏な今日という日を過ごしているのだ。

学生といういたって都合の良い時期も終わりをつげ、社会にで、結婚し子供ができとなれば、 さすがの熱病も陰りを見せ、息子がスキーをする姿にホット奇妙な安堵感をいだくのも親として至極自然な感覚なのであろう。

そして今、生駒山のハイキングコースを大きくはずれた谷の中で、ただただ目標に向かって もくもくと藪をこぐのも、脳裏では白一色の猛吹雪の山中を、磁針のみを頼りに 尺取虫のようにザイルを繰り出し繰り出し前進したあの感覚を反芻しているのかもしれない。

さて、以下に記した行程は、そのような生駒の山に、私が山に傾注したあの頃の感覚で味付けし、私流に仕立てた新生駒山ルートマップである。 近鉄枚岡〜石切駅界隈の西面を 中心にまとめてみた。





1. 神武天皇顕彰碑尾根

旧近鉄くさえざか駅をやや下り三又路を右、北に向けすすむ。小池が二つ連なるように左手に見られるのが目印となる。 両側に新築の住宅を見ながら進み、 左側に大龍寺上の院を過ぎると、やがて道幅は狭まり山道となる。間もなく 神武天皇顕彰碑、霊泉龍の口方面と日下直越え路との分岐点に到着する。顕彰碑方向へは一気に斜面を登り、尾根筋に 出たところでやや西によると立派な顕彰碑の前に出る。 高さ5mはあろうかという大きな一枚岩の碑文がずっしりと立ち、 どのようにして運び上げたのか目を見張るばかりである。神話に基づく由来も書かれており、一息入れるには格好の ロケーションである。瀧の口方面へもここから分岐路がある。顕彰碑からは良く踏まれた尾根筋を忠実にたどる。途中、 これも古墳だったのではと思わせる巨石の積み重なる個所を通過し、二カ所の送電線鉄塔下を過ぎると
ほどなく縦走路に 飛び出し、すぐ上方にはドライブウエーも目と鼻の先である。このコースはおおよそなだらかな行程で気持ちの良いウオーキングを楽しめる。

石切駅、顕彰碑、直越えコース分岐まで30分 顕彰碑まで 15分 下側の鉄塔まで35分  縦走路まで 25分



2. 霊泉龍の口を経て縦走路に至るコース

神武天皇顕彰碑の直前を霊泉龍の口方面に分岐する小道が北の方向に延びる。緩い下りを進むとやがて左山麓から登ってきた 小道に合流する。間もなく前方に 小さな祠があり、清水がこぼれおちている。霊泉龍の口であるがいわれは定かでない。 319mの三角点を大きく巻くように進むとやがて分岐点に到達する。右は神武天皇顕彰碑尾根上にある下の高圧線鉄塔に進み、 鉄塔で左をとると、雑木林の中の良く踏まれた 小道を進み、やがて古に使われていた大きな燈籠前に出る。ちょうど山上 ドライブウエー宝山寺分岐料金所北西脇に位置する。

石切駅  50分 霊泉龍の口  30分 下の送電鉄塔  30分 燈籠前



3. 霊泉龍の口上方分岐点より左のコース

中垣内飛び地の中をゴルフ場の縁を巻くように大きく北に迂回しながら非常に緩い傾斜で登っている。展望は開けず、ただ延々と続く小道であるが、最終的には 燈籠まえにでる。下部は良く踏まれた山道、燈籠に近づくにつれて軽乗用車なら通れるほどの農道となる。食糧難の時代、山中まで切り開いて田を作っていた時の名残を感じ させ、竜間方面から入り込んできたものである。下部は送電鉄塔の巡視路にも使われてきたのであろうか。

霊泉龍の口より燈籠前まで 90分



4. 日下直越えコース

神武天皇顕彰碑コースとの分岐より谷筋を忠実にたどるコースで全く眺望も開けずもっぱら下山路に使う。ドライブウエー宝山寺分岐よりやや南、山上方面有料 路東側ピーク西側にあたる部分、縦走路上に小さな分岐道標がある。

縦走路から石切駅まで  分



5. 日下旧療養所尾根  日下ハイキングコース(あかしあの道)より一つ北の尾根。

旧近鉄日下坂駅跡を北に進むとすぐ新池にでる。池の北、小高くなったところに旧療養所跡の説明板のある小さな公園がある。 公園の奥には小さな社があり、 道は尾根へと導かれていく。公園の案内板には尾根伝いに縦走路に通ずるコースが記されているが社をすぎ間もなく入山禁止の立て札がある。
委細かまわず忠実に尾根筋を伝えばイノムラキ古墳を示す小さな道標に出くわす。 古墳は道標から南に数十m下った所にある。ほぼ原形をとどめる大きな石室の残る古墳である。 古墳に寄るのにさほど時間はかからない。一見の価値は十分にある。
さらに尾根筋を忠実につめるとすぐに東ワラ山と記された標柱を過ぎ、下の送電線の 鉄柱の足元にでる。間もなく日下ハイキングコースあかしあの路に合流し、山上縦走路に いたる。
特に遠望が開けるでもなく、 ただ静かな尾根登り。厳しい藪こぎはない。しっかり張られたクモの巣には閉口する。古墳に来るためにあかしあの路分岐から東ワラ山までは しっかりした標識が整備されている。

石切駅、顕彰碑、直越えコース分岐まで30分 顕彰碑まで 15分 下側の鉄塔まで35分 縦走路まで 25分

公園より縦走路まで約2時間。


6. 日下ハイキングコース(アカシアの道)

近鉄日下坂駅の北側を東に向かって山に入る。数件の民家を過ぎ最後の寺院を過ぎると道標どうり、左にカーブして尾根にとりつく。間もなく小展望台があり 河内平野を見下ろすことができる。道はほぼ尾根をたどるように高度をましイノムラキ古墳分岐を経て縦走路に出る。途中には巨石が集中して見られる場所が何カ所かあり、 あまり知識のない者にとっても、古墳の残骸なのかなとの感を抱かせる。

縦走路まで約1時間半。しっかり踏まれたハイキングコースで時に人に出会うこともある。



7.ハイキングコース アカシアの路とマツカサの路を 上部でつなぐルート

400mの等高線に沿ってほぼ等高線沿いに開かれたのんびりした小道、一帯は傾斜が穏やかで、ゆったり切り開かれており、のんびり森林浴をするには格好の場所 である。両路の分岐部には明瞭な道標があり判りやすい。

15分もあれば通り抜けることができる。



8.イノムラキ古墳

くさかハイキングコースアカシアの路上部、マツカサの路分岐すぐ下に古墳への分岐点がある。道標もあり間違うことはない。道標に従い西に延びる尾根を 下ると、送電線の鉄塔に出る。なお下ると東ワラ山の記載のある標柱にでる。318mの三角点と思われる。古墳はこの標柱からやや西南に下ったところにあり、迷うことは無い。 奥行き6〜7m石室内の高さも成人の身長を超す、しっかりと巨石を積み上げた立派な古墳である。帰路はアカシアの路に引き返すのが無難である。

アカシアの路分岐より30分あれば往復出来る。

道標は全く整備されていないが、東ワラ山標柱より慎重に西に尾根筋をたどれば、日下療養所跡公園に、北西に尾根をたどれば 神武顕彰碑直越えルート分岐部上部にでる。

いずれも下りに限れば40分前後を見れば良いが、正式なルートではない。



9. イノムラキ古墳へもう一つのルート

日下直越えコースを直登、神武顕彰碑への分岐をすぎ、右手に見える砂防堰堤から15分ほど登った地点に分岐を示す道標がある。 小谷に沿ってどんどん高度を かせぐと旧療養所尾根上、下の送電線鉄塔の足元に飛び出す。鉄塔下で西に進路をとり東ワラ山標柱にでると間もなく古墳である。

近鉄石切駅 35分 神武顕彰碑、直越えコース分岐点15分 イノムラキ古墳分岐 15分 旧療養所尾根下の送電線鉄塔 10分 古墳、鉄塔 20分 くさかハイキングコース分岐



◆顕彰碑、直越え方面、療養所尾根コース、くさかハイキングコース方面へのとりつき路◆

近鉄石切駅北出口西口に出る。駅前を北へ、山手保育園前三叉路は左をとる。道は突き当たり、くさかハイキングコースへは右折の道標がある。顕彰、直越え 方面へは左をとり、排水溝に沿い下方へ右にゆるくカーブしながら遠く大阪平野を前方に進む。大龍寺不動瀧を示す石碑は右へ、小池を過ぎ三叉路は日下直越えの道標どうり、 しばし坂道の住宅街を進む。豆腐料理の店を過ぎ石材集積地を左に小道となり自ずと直越え,顕彰碑への山道に入る。


10. 旧生駒トンネル直上の高圧線巡視(?)路

近鉄生駒トンネルは、 年に新しいトンネルに付け替えられ、旧生駒トンネルは現在は使われていない。それにともなって、 線路も石切駅を出るとすぐに新トンネルに入り、旧日下坂駅を通るコースはショートカットされてしまった。旧線路は石切駅を 出るとさらに急こう配を北に向って登り、旧日下坂駅直前で、ほぼ直角に東向きに転向していた。日下坂駅を過ぎ直ちに旧生駒 トンネルに入るのだが、トンネルの入り口には生駒隊道3388mと記された銘板が誇らしく上がっていた。当時の頻繁な電車の 往来を偲ばせるものは、当時使われていたむきだしになったホームだけで、隊道の入り口の銘板も取り外され、入口は頑丈な 鉄扉で閉ざされてしまっている。何とももの寂しい感じである。 技術的なことはよく判らないが、鉄道用と思われる高圧送電線は隊道の中を通さず、隊道の直上を直線で生駒山脈を越え生駒側の 出口へと張られている。もちろんこの高圧送電線を支える鉄柱も必要な間隔をおいて設置されている。この鉄柱と送電線の見回り 路が送電線の真下をほぼ直線的に設けられ、山を越えているのだ。そしてそのルートだけは、旧隊道入口の直上から東へ、今も 残され使われている。 さて、この見回り路であるが、大阪側は全く不明瞭、無いのかも。大阪側隊道入口より、しばらくの間、くさかハイキングコースを 進み、寺院より送電線のある谷の北側を強引にすすむも、全く踏み跡らしいものが見つからず、藪こぎの連続で、3本目の鉄柱を 超えるところでたまらず南側尾根筋にとりついた。尾根筋に達するまでは斜面が崩落しやすく相当の苦労をしいられたが、尾根に 出てからは難なく尾根伝いに縦走路に出ることができた。 生駒側は対照的で、しっかりした踏み跡と、所々には連絡ポストのようなものが設置されており、登山路としての利用も可能である。 ただ、一直線に張られた送電線に沿った踏み跡であるため、常にルートは直線的に取られているのが特徴で登り降りには厳しい。 生駒側はトンネル入り口北側を市街地をぬけ、道路のままやや北寄りに最後の住宅の庭先から、良く踏まれた山道にはいる。 製紙会社の林道までは送電鉄塔直下とはいかないが、やや北寄りを登っていく。途中一ヶ所の分岐点は左を取り、南にふられながら 登ると、やがて清らかな水の流れる小川を横切り、いつの間にか送電線の南側にいることに気づく。間もなく製紙会社林道に出た ところで、林道の山手側を注意して探すと、背丈よりも高い藪の中にぽっかりと開いたけもの道とも見間違う開口が見つかる。 入口付近は湧水があったりして湿っぽいが、その部分を抜けるとあとは送電線下を直登する切り開かれた巡視路?が続き、尾根筋 マイクロウエーブ中継所群の最北端に出る。


11. 宮谷川ハイキングコース(あけびの道)

石切駅北出口を東側にでる。すぐ前にある綺麗にしつらえられた石段を山に向かって登る。住宅街のきれるあたりで 宮川谷ハイキング コースの小さな道標が目に入る。最後の住宅が過ぎるところで、谷筋をつめるカエデの道と尾根筋をつめる アケビの道の分岐点に出る。 アケビの道はなおしばらく舗装された路面が続くが、やがてテレビの共聴アンテナを右手に見る あたりから良く踏まれた地道になる。 深く落ち葉の積もる中の歩行はなかなか趣があり気持ちがよい。標高310m付近、登山路の すぐ右手の小ピークにコンクリートで作られた 腰かけが数個配置され、一息入れるには格好の場所である。展望は良くない。 道はその後も尾根筋につかず離れず二つ目の休憩所を 左に見、最後まで同じペースで山上縦走路に出る。

駅より下の休憩所まで 30分 さらに縦走路まで 30分。




12. 宮川かえでの道 その先をつめる

宮谷川ハイキングコース(あけびの道)とは、コースのとっかかりで別る。分岐点はごくわかりやすく、左、尾根筋に向かうのが アケビの道である。 かえでルートは谷沿いに直進する。コースは非常に手入れが行き届いており、随所にベンチなども設けられて 快調に歩を進めることができる。川筋に水が見られなくなるころ、コースは急に谷筋を離れ左斜面をジグザグにのぼりつめ、尾根の アケビの道、下の高圧鉄塔やや 下方で合流する。
尾根筋に登るハイキングコースをとらずに、谷をそのままつめてみよう。もちろんルートとして整備されたものではない。忠実に谷筋を 詰めることにする。すぐに堰堤に 突き当たる。ここは右岸を大きくまき、難なく通過する。再度、川床におり主流を忠実に進む。二番目の堰堤に突き当たる。これは左岸を大きく巻くことにするが、高巻きに かかったとたん、猛烈な藪こぎになる。手でやぶに空間を作っては 僅かの前進をくりかえすが、鋭いとげのあるつるに悪戦苦闘すること20分。再び川床に降り立つ。川原は 今までにない巨石がごろごろし、腰をおろし一息入れるには格好の場所である。この先は川筋は細り、大きな岩がゴロゴロする斜面を登りつめると、やがて縦走路の石積みが 見える。

駅より縦走路まで120分



13. まつかさの路下部

くさかハイキングコースあかしあの路、宮川谷ハイキンギグコースあけびの路を南北に結ぶバイパス

くさかハイキングコースのおよそ中間点で道は上下に分岐する。しばらくしてまた合流するが、上部合流点の僅か下方に谷筋に向かう小道が ある。これがまつかさの路への入り口である。入口からほどなく石の鳥居があり、河内七面山と記されている。奥には南無妙法蓮華経と 彫られたとてつもなく巨大な石碑があり、お百度石があったりする。右手奥には、これまた想像を絶する巨石が累々と横たわり、もしや古墳では と思わせる光景である。何か重要ないわれのある仏蹟であろうと思われるが、何の表示も無くさびれた感じの場所である。 コースは右奥に導かれしっかりした小道である。約15分でまつかさの路下部、南北分岐部に至る。ここにも立派な道標があり迷うことは無い。 ただし、この場所に立つ古い案内図の設置の仕方がいかがなものかと思われた。表示板は山の頂に向かって建てれば判り易く、南北の表示に 幻惑させられることもないのだが。
さらに南に小道をたどれば再び15分ほどで宮谷川ハイキングコース(あけびの路)に出る。

◆宮谷川ハイキングコース(アケビの道、かえでの道)へのとりつき◆

近鉄石切駅北東出口をでる。道路に出たところを右に、すぐの横断歩道を渡り、レンガ色の階段を上る。登りつめると右目前の公園を山の方に 横切る。公園を突き抜け山方向に瀟洒な住宅街を抜け、路が突き当たれば右上方へ、また突き当たれば右上方に。最後の住宅を過ぎるところに、 宮谷川ハイキングコースの道標がある。谷筋を直進する谷筋コースと、左折する尾根筋コースに分かれる。


14. テレビ尾根

山上、毎日放送送信所の真西、縦走路に面してTV大阪の送信所がある。ここより西に向け254.89mの三角点を通り石切神社上之宮に至る尾根を このようによんでみた。
画面中央、稜線よりやや下方に見える白い塔がTV大阪の送信等である。ここを中心に二等辺三角形に広がる大きく分けて三つの尾根尾根をTV尾根と総称し、画面左(北)より北稜、正面に延びる主稜、右(南西)に延びる南稜と呼んでみた。
額田谷(長尾渓)と弁天の滝谷そして辻子谷をを分ける尾根尾根である。
尾根への取り付きは石切神社上の宮を南に回り込み、民家の切れるあたりがよい。忠実に尾根筋をたどれば254.89m三角点に出る。クモの巣には 悩まされるが藪をこぐこともなくどんどん高度をかせぐ。頭上を送電線がまたぐ地点で、送電鉄柱への点検路が左右に伸びる。藪のなかでもあり 進路選択を悩むところであるが、目的地は東、TV大阪送信所であることを念頭に東進すれば、すぐに灌木地帯に入り講和記念樹林の標識が目に 入る。あっという間に木立の向こうに送信所の白い建物が見えてくる。そこは縦走路でもあるのだ。

石切駅 50分 三角点 30分 講和記念樹林銘板 10分 TV大阪



15. テレビ尾根北尾根


TV大阪送信所から西に延びる長い尾根の一つ。辻子谷と弁天の滝渓を分ける尾根。

石切神社上の宮門前を南に通り越し、弁天の滝道を進む。明正教関係の建物がきれるあたりで左手の斜面にとりつき、いっきに尾根筋を目指す。 326m三角点までは胸を突く傾斜と、手入れされていない檜林の中の厳しい登高が続く。三角点より上部も、いたるところで背丈をこす笹の中の 藪こぎを強いられ、のんびりした尾根歩きは望めない。額田山標点F4-1の標識があるのはピークと思われる。なおも藪こぎは続くが送電線下部に 近づくころ、ようやく角のとれた岩のころがる灌木地帯に入る。やや進むと送電線下の巡視路にでる。巡視路はよく刈り込まれており、飛び出した 地点の北と南、いづれも近くに送電鉄柱があり、巡視路は高尾渓より伸びるものである。南に巡視路を進むと南側の鉄柱に出る。鉄柱下から東に 又もや藪をこぐと、しばらくで藪は終りやがてTV大阪送信所南側の防風林に出る。すぐ下に縦走路をみる。

石切駅より弁天の滝道取り付き部まで25分 三角点まで30分 額田山標点柱15分 巡視路まで 35分 TV大阪 15分
厳しい藪こぎの連続する尾根であった。


16. テレビ尾根南稜を下る

テレビ大阪送信所南側ピークから直ちに西南西に延びる尾根。下の高圧線鉄塔を経て、359m三角点に至り長尾渓に下るルートである。 先ず尾根に取り付く時、送信所南側520m三角点まで西進するとこの尾根には入れない。送信所直南で尾根入口を探すことが肝要である尾根に 入れば忠実に尾根をたどればよい。しばらく進めば高圧鉄塔が見えるのでこれを目標に進めば良い。鉄塔から西は藪が茂り、躊躇するが委細 かまわず西に進めばすぐに藪はきれ、再び尾根を忠実に下る。 途中359m三角点へは広い斜面を相当南に振らなければならないことを心して下る。次第に斜度がきつくなり、足元の土は崩れやすく、ホールド する草木も乏しくなり下降に難渋するが、やがて谷の音が聞こえ始め長尾渓正覚寺上方に出る。

TV大阪送信所 10分 高圧線鉄塔 35分 長尾渓道


17. 高尾渓

縦走路あじさい園の最下部より下降を試みた。渓の最上部で右俣と左俣を分ける尾根の突端より川筋に降りる。最上部堰堤と次の堰堤は右岸を 巻く。上から二番目の堰堤直上で右俣渓が合流するあたり、谷筋上部に向けテープの目印があり地図上の破線もみられる。送電線鉄塔への巡回路と思われ、先はTV尾根にある 二本の鉄塔へ伸びている。谷筋にはこのあたりから、取水管がみられ、人家に近付いたことをうかがわせる。いつしか踏み跡は明瞭になり、左岸にそして右岸にとわたり辻子谷 ハイキングコースに合流する。

縦走路 60分 辻子谷ハイキングコース合流点。
この合流点あたりは海抜200m位、河内平野の高層ビルが同じくらいの高さに見える。


18. 高尾渓右俣を経てテレビ尾根北稜471m三角点経由TV大阪送信所へ

辻子谷ハイキングコースで唯一の橋、すなくら橋で谷は辻子谷と高尾渓に分かれる。小さな寺院の庭先を強引に右奥に進むと これが高尾渓と納得のいく谷筋に入る。二、三軒の廃墟を過ぎ、三つの堰堤は踏み跡どうり難なく越えることができる。三つ目の堰堤を過ぎたところで、右手、南に切りあがる 小谷が目に入る。赤いテープのマーキングも目に入るこのガリーが国土地理院1/10000地形図に見られる破線の入り口である。明らかに一般のハイキングコースではなく、関西 電力の高圧送電線鉄塔への巡視路と思われる。

ちなみに、枚岡、石切、日下地区の生駒西面では、二系統の高圧線が南北に架設されている。便宜上、下の高圧線、上の高圧線と呼ぶことにしており、山中での位置の表示には 非常に重宝な存在である。

すなわちこの破線のルートは下の高圧線のテレビ尾根上にある二本の鉄柱の巡視路なのであろう。破線とは裏腹に谷を強引に詰めると言ったほうが 適切かもしれない。堰堤から小谷に入る入口で、谷は左右に分かれる。左の方がやや広く見えるが、破線の谷は右側である。小岩と倒木の川床を 慎重に進む。朽ち果てた倒木が谷筋を埋めるが川床に水の流れは最初からない。登り始め15分もしたころ、右斜面に鉄塔<−>砂倉橋と記された プレートが目につく。近づいてみるとかすかな踏み跡らしきものがみられる。委細かまわず谷をつめる。堰堤らしきものに突き当たる。すぐに傾斜が 緩やかになり471m三角点に出る。

左の谷を取った場合、テーピングは無く強引に谷をつめれば同じく471m三角点に出る。さらに南に尾根筋を伝えば送信所に出る。

石切駅 25分 すなくら橋 15分 第3の堰堤 45分 471m三角点15分 TV大阪



19. 長尾渓、長尾の滝、天龍院

額田駅より真正面に山に向かい高区配水給水塔を経て長尾渓に入る。ここから天龍院まで健脚で40分程度。途中、何軒かの 小寺院を過ごす。渓とは言葉ばかりで、渓谷の感じはいささかもないが、高度を上げるに従い、随所にしっかりした石組みの河岸が見られ、歴史のある参道であることをうか がわせる。道はしっかり舗装され、道幅もしっかり確保されてはいるものの、相当な勾配の部分もあり、老人、ご婦人の参詣には相当苦しいものがあるやに感ずる。喘ぎながら 登りつめたところに規模こそ小さいが、荘厳な趣のある寺院、天龍院があり、上下二段に分かれた滝がある、下方を雌滝、上方を雄滝と呼ぶ。いずれもしっかりした岩盤を落ちる 滝であり、両者とも落差は20m弱であろうか。生駒山中では唯一の瀑布と説明されている。滝上方、座禅石上部より額田園地、寂光院に通じるハイキングコースの道標がある。

額田駅より滝まで約45分



20. 長尾渓参詣道基部からテレビ尾根上方に林間をほぼ直登する小道

天龍院参詣道左側を注意深く見て歩くと、給水塔上部、約100m付近に廃棄物の散乱する所から始まるあまり使われていない 小道を見つけることができる。何気なしに歩くと廃棄物投棄場として見過ごしてしまいそうだから注意が必要である。投棄場の奥から始まるこの小道は、かっては相当使われて いたのであろう。入口の状態とは裏腹に、しっかり踏まれた形跡を残し、ほぼ直線的に、どんどん高度を稼ぎ、テレビ大阪送信所直下の高圧線鉄塔下方でテレビ尾根に合流する。 この径の難点は、最初から最後まで展望の開けないことであろうか。一方、秋ともなれば小径はどんぐりが落ち葉の上に散乱したように豊富に見られる。

駅より約2時間30分でテレビ大阪送信所わき縦走路に達する。



21. 長尾の滝、天龍院から上部 摂河泉展望コース 寂光院へ

上方の滝、雄滝の左手階段を上ると座禅岩にでる。この上方に額田園地、寂光院の道標があり、踏み跡を左にとる。右方は間もなくブッシュの中に消えて なくなる。道はやがて川床におり20分も歩けば右俣と左俣の分岐点にでる。右俣をとれば道はやがて沢をはなれ、しっかりした踏み跡をたどりながら摂河泉展望ハイキング コース寂光院への分岐点に達する。

沢分岐点より約40分



22. 長尾の滝、天龍院から上部 左俣をつめる

分岐点より左俣をとる場合。分岐点には左俣へは入るなと記された標識がある。しかし、沢沿いにしっかり踏まれた小道があり、ところ どころ樹脂製の階段もしつらえられており、何ら不安や危険はない。国土地理院一万分の一の地図にもしっかりした破線があるが、 恐らく359m三角点のあるテレビ尾根南稜にある送電鉄塔の巡視路なのであろう。沢をつめ、左手尾根に取り付くあたりはかなりの傾斜を 登るがわずかの区間である。飛びだした尾根はテレビ尾根の講和記念林から南西に派生する小尾根で、間もなくTV大阪送信所横に出る。 尾根にとりつかずそのまま沢をつめても何等苦労は無く、間もなくテレビ尾根南側の縦走路に出る。

沢分岐点よりTV大阪まで約30分。天龍院が相当高所にあるため、それより上部はいずれに向かうにしても所要時間はわずかである。


23. 興法寺三味尾石造十三重塔尾根を詰めるコース

辻子谷ハイキングコース、民家が無くなり相当な急坂を石切駅より40分ほどで十三重塔分岐の小さな道標を右にとる。注意していなければ見落とすほどの道標だ。道は辻子谷を渡り、沢山の石仏に迎えられながら山肌をジグザグに上る。約15分ほどで三味尾十三重塔にでる。石切駅より45分 十三重塔手前約20mより尾根にとりつく。しっかりした踏み跡のついた静かな尾根道を楽しむことができる。多くのハイキングコースのような喧騒も無く、約30分ほどの尾根歩きと なる。かなりの痩せ尾根の個所もあり、一瞬、深山にでもいるような心地よい錯覚にとらわれる。こみちは一度の藪こぎもなく縦走路上の南の石の休憩地に出る。

駅より90分を見れば充分か。



24. 十三重塔尾根道下方

取り付きは、すなくら橋すぐかみての一成寺の奥になる。寺院本尊を通り越し裏山をよじ登るのは、あまり好ましい姿ではなかろう。となると、この尾根は 下りに使い、寺院の屋根の見えるあたりで左右に逃げるのがよいのではなかろうか。十三重塔分岐より気持ちの良い尾根筋を下ると間もなく、上の送電線の鉄塔に到達する。 この鉄塔したからは、しばらく藪をこぐが、ほんの少し。尾根筋を外さないように下れば下の送電線の鉄塔にでる。15分。この鉄塔から少し下部で左の谷筋に一本の小径が 分かれる。鉄塔の監視路であろう。なおも尾根筋を忠実にたどると、下方に寺院の屋根が見え隠れし出す。と、尾根筋に今は使われていない石組みのしっかりした構造物が 現れる。古い貯水槽?鉄砲水の防止槽?よくわからない。忠実に尾根を下ればお寺の直上。左右に振って本堂への降臨は避けた方がよい。

分岐より 40分


25. 三味尾谷遡行(三味尾北側を遡上する谷)

辻子谷ハイキングコースをどんどん登り、興法寺石段に近づく頃、丁度高圧線直下で、三味尾十三塔への分岐点がある。始めは渓ぞいの 道であるが、 十三塔への道はすぐに右尾根に取り付く。谷筋をそのまま遡上するのが三味尾谷である。古い庵を左に進むとすぐに第一堰堤に突き当たる。庵裏手より右岸を巻き 越える。越えた所に廃屋があり、谷は左右に分岐する。左俣も谷として立派に遡上してはいるが、本谷は右俣である。左右俣の間にもう一本涸れたガリーが登っている。 委細かまわず右俣に入る。この谷は地図からも読み取れるように堰堤の谷といっても過言ではない。低いものもいれれば十二の堰堤が数えられた。とにかくこれでもか というように続いて堰堤が出てくる。第三、四、五は右岸高巻き、生駒の谷にしてはそこそこ水量を保ち、音をなすほどである。第六は最高の高さだと思えた。15m以上は あろうか。昭和六十三年治水事業大阪府との銘板が掲げられていた。一瞬、当時の自分の生きざまが頭をよぎり、懐かしさに浸ると共に、事業のためとはいえ一面泥だらけに なり、ひとときではあろうが緑が奪い取られたであろうこの谷の殺伐とした姿が脳裏をかすめた。七、八番は左岸を巻き再び川床へ入る。すぐに九番が目前に立ちはだかる。 これまた相当の高さ、10mはゆうに超しそう。慎重に左高巻くが、まだまだこれでおしまいではない。十番は右、引き続き背は低いながら十一番。この辺りにはやたらペット ボトルが川床を埋めている。上部園地から流れ着いたものであろう。不愉快極まりない。十二番はひどい藪こぎの中1mの高さ。谷という形はこのあたりで不明瞭になり、 谷らしい部分をつめると縦走路に出る。北に休憩場を求め、竜王池広場に至る。

石切駅 55分 第三堰堤 50分 縦走路



26. 興法寺尾根(宮川と辻子谷をわける尾根)

興法寺より南西に延びる尾根上、標高410m付近に送電線の鉄塔があり、その足元だけきれいに下刈されている。興法寺側より下降するにはブッシュの中を 相当に苦労しなければならないが、距離は知れている。尾根筋を外さない注意がいる。尾根筋でこの地点だけは南北に視界が開け、南に三味尾石造十三重塔尾根、テレビ尾根、 北に宮山尾根を完全に眺望することができる。鉄塔より下部は尾根筋にもそれと判別できる踏み跡があり忠実に尾根筋歩きが可能である。途中、辻子谷より宮山に至るしっかり した踏み跡の小径と交叉するが興法寺尾根をたどる場合は、尾根筋を外さず進むことが肝要である。尾根からの出口は宮川側水源地付近、辻子谷側いずれでも可能である。


27. かえで尾根と宮山

宮山というピークがあるわけではない。麓にある石切剣箭神社の元宮が 祭られているため、このように呼ばれているのだろう。地理的にはピークでも何でもない尾根筋をほんの少し下がったところに、小ぶりではあるが立派な社が安置されている。 あるいは、宮川右俣源流に位置すると言うのが適切なのかもしれない。尾根筋やや下ったところに国旗掲揚柱が設置されており、神社の歳時には国旗が掲揚されるのであろう。 さて、取り付きは辻子谷すなくら橋を渡り50mほど進めば左手に宮山への道標がある。本道から分かれ急な斜面をジグザグに登るとすぐに尾根筋にでる。これは興法寺尾根である。尾根筋を 横切り小道は興法寺尾根の北斜面を緩やかに登りながら、やがて左下方から上がってきた子谷にいきあたる。この谷は宮川右俣である。宮山への道標のあるところで向かいの 尾根にとりつく。水汲み場の表示もあり、元宮の祭時にはここで神前に捧げる水をとるのであろう。斜面を登り尾根筋直下に元宮が鎮座する。直上に尾根筋があり、かえで尾根と 呼ぶことにしよう。南側の興法寺尾根と北側の宮谷川ハイキングコース(アケビの道)とに平行する尾根である。元宮からの尾根筋は、のんびりと静か、快適である。やがて上の 送電線鉄塔下にでる。ここからの展望は摂河泉はいうに及ばず、大阪湾、明石海峡、淡路島を望むことのできる絶好のロケーションである。元宮より20分。10分、何の藪こぎも なくすぐに縦走路に飛び出す。

駅より90分みれば充分か。



28. 宮川上流左俣

石切剣箭神社の元宮の水とり場上部で谷は再度左俣、右俣にわかれる。分枝部では左俣のほうがやや大きく見える。取り付くやいなや猛烈な やぶと覆い かぶさる倒木により一筋縄では突破できない状況におちいる。谷筋を忠実に這うようにして何とか前進する。悪戦苦闘すること約20分、眼前がパッと開けて広葉樹とあまり 大きくはないが程よく苔むした岩いわが絶妙に調和したいかにものんびりしたお庭に飛びだす。あまりにも過酷な藪漕ぎの後だったので一瞬神様のお庭といった感覚で一休みも 二休みもしてしまう。結局この日の遡行はここで中止し、左手、かえで尾根をつめ、宝山寺にくだり各お社にお参りするという殊勝な一日をすごした。


29. 宮川上流右俣




30. 弁天の瀧およびその奥を遡上する

石切駅より辻子谷道に入り間もなく、石切神社上の宮前を南に、弁天の瀧への道標に従い谷筋を登る。道は細いが整備されており、最奥の社に着く。 正面、宗教の対象とされる瀧の左に細い踏み跡があるが祠まで。その奥は左下方に谷筋をみながら、徐々に谷に下る。ほとんど流水はないが忠実に谷筋をつめる。 左岸より小尾根が下がり、沢筋はやや北にふる。このあたりから朽ちてはいるが相当の太さのある竹が谷底を埋め尽くす。下を這いつくばって進むやら、上をまたぐ やらするも一向に前進している感覚がわいてこない。大方の竹は枯れて乾燥しており体重をかければ大きな音とともに折れてしまう。上方をみるとかなりの数の竹が 雑木の中でそよいでいるのが見える。やがて谷は左右に分かれるが、果てしのない倒竹バトルを続けることをギブアップ。左俣斜面を尾根筋に向け逃げ、テレビ尾根主稜上部に でる。間もなく下の高圧線鉄塔下をとうりテレビ大阪送信所脇にでる。

石切駅 60分 滝上部 35分 右左俣分岐倒竹のデブリ 35分 下の高圧線鉄塔 15分 TV大阪






Dr.Toeの日曜日


生 駒 山 を 下 る

生駒山を大阪側からつめるルートをあれこれ試みるうちに、下りのルートについて、毎度毎度大阪側に下るのもなあとの気持ちがわいてきた。 大阪側からはハイキングコースにしても数多くが設定されているのに対し、恥ずかしながら私の頭の中では、奈良県側に下るルートが以外に少ないことに気がついた。 私が始めて生駒山に父につれられて登ったときは、確かケーブルカーの線路わきをほぼ直登するルートであった。父の手を離れて捕虫網片手に登っことは幾度もあったが、 一つ覚えのようにこのケーブルカー沿いの道を登った。同じ道を下った覚えもあるが、多くは大阪側に下った。 今は近鉄生駒線が何両もの車両をつないで頻繁に行き来するが、かって生駒電鉄と呼ばれていた頃のこの沿線は、それはもう田舎で足が向きにくい場所であった。 古人の時代から生駒越えとして利用されたのは暗がり峠、十三峠、水越峠、直越え、信貴山くらいであろうか。あまりにも急速な地域の開発は、これら峠道の奈良県側の 取り付きでさえ判り難くしてしまった。


1. ケーブル脇(西側)を 真っ直ぐ下り、宝山寺参拝道に至る

山上ケーブル駅西側を道標に従って一気に下る。道はケーブルにほぼ平行しており、所々でケーブルカーがちらほら見えたり、音が聞えたりしながら下る。 視界はまれに奈良市北部が見える程度で良いとはいえない。ケーブル霞ヶ丘駅で山頂より東周りで下りてきた路と合流し、やや幅が広くなる。ケーブル梅屋敷駅を 過ぎるところで宝山寺境内に入るが、なおも今までどうり北向きに下山するとやがて宝山寺の参詣道に出る。両側にはそれなりに由緒を偲ばせる旅館や売店の並ぶ立派な石畳と 石段が延々と続き、宝山寺詣で生駒の駅に降り立った老若男女には、さぞ辛かったに違いない、引き換えに登りつめた暁にはいかにも霊験あらたかだったであろう参詣の道である。いさいかまわず下ること15分もすれば近鉄生駒駅にでる。


2. 暗峠を下る

山上のテレビ回廊を南に、旧天文科学館前を南に真っ直ぐ下る。しばらく下るとドライブウエーを横切る箇所があり非常に危険であり注意が必要である。 信貴生駒従走ハイキングコースと呼ぶのであれば、此の箇所は地下道にでもすべきであろう。駐車場を横切り更に南へ下る。その後も二箇所、ドライブウエーに接するところが あるが注意しながら下ると暗がり峠はすぐそこである。古より大阪と大和を結んだ幹線道らしく、安政年間を示す石柱なども見られる。奈良側に下るには左折、全く迷うことも なく近鉄生駒線南生駒駅に出る。何せこの路は国道308号、全面舗装され、車やバイクの往来もあり山歩きとは到底言いがたい。願わくは道路南側の田畑の端に、ハイキング用に 小道でも作れないものだろうか。


3. 薬師の滝を経て一分へ

山上のテレビ回廊南端、NHKTV送信所角の 十字路を東に、道はすぐに北に向きテレビ回廊と平行して進むようになる。約200mも進むと右手、道路の東側に小さな 鳥居があり、宝山寺、薬師の滝方面への指示板がある。 鳥居からかなり急な階段のしつらえられた坂道を下る。視界は全く開けない。15分も下るとT字分岐に出る。右、薬師の滝、左、宝山寺の標識がある。今回は右をとる。 更に15分もせずに人気の無い社殿に出る。護摩を焚いたあとが残り祭祀に使われていることはうかがえるが、滝らしいものも見当たらない。正面と思しきあたりからほんの 短い距離、下方に向け石段がつまれ参道らしく見えるが、その先は踏み後とも獣路とも判別のつかない状態で、ルートの選択には慎重をようする。15分ほど下ると部分的に 石組みが見られるようになり、やがて右手に苔むしてはいるが立派な石組みがあり、その中央部に太い排水管が設置されているのが見える。 陸測の地図ではかなり大きな池の マークがあるが小道からは水面は確認できなかった。この場所より下は視界も開け、手入れされた畑や、農機具も散見され、間もなく日曜農園風の場所を過ぎ、鬼取町内の 舗装道に出る。鉄道まではとにかく東に下り竜田川まででて、川沿いを北進、第二阪奈自動車道の下をくぐりしばらくで、近鉄生駒線一分駅に出る。

山頂鳥居から一分駅までゆっくり歩いて1時間45分



4. 上の 3.薬師の滝コースの T字路を左折するコース

T字路左折から生駒山の東面を緩やかに北に巻き込んでケーブル霞ヶ丘駅で1のケーブル脇の下山道に合流する。時に矢田山、奈良市方面が開けることがあるが、 視界に恵まれているとはいえない。


5. ケーブル山上駅と薬師の滝鳥居の中間付近から東へ破線を下る

国土地理院地形図には明確な破線が記され、 地図上ではいかにも多用されるルートに見える。しかし実際は入口ですら注意していないと見落としてしまいそうな 不確実なルートである。なぜ図上で立派な破線なのか首を傾げたくなる。斜度もきつく、足元は非常に滑りやすく、ルートもしばしば見失うような状態である。ただ30分ほど 下るとNHK奈良UHFの構築物があり、少し下を宝山寺〜薬師の滝間の周回路が南北に横切る。更に下方へ破線の続きを探すも相当困難の末、ようやく周回路を少し北に寄った部分 からかすかな踏み後を見つける。今まで以上に不明瞭なふみ後を探しながらようやく石工の作業所、そして人家のあるところに出る。周回路より約20分、門前町、軽井沢町などの 町名表示を見ながら近鉄生駒駅にでる。

6. 府民の森からスカイライン府民の森駐車場を東へ送電鉄柱経由南生駒へ

スカイライン府民の森駐車場向かい(東側) 土手に細い踏み後がある。足を踏み入れるとしっかり踏まれた小道が続く。すぐ高圧送電線の鉄柱フェンスに出る。フェンスの縁を東側に回りこむと、東方向に小道が伸びる。 人に会うことは先ず無いが、小道はよく踏まれており、尾根筋やや南側を忠実にくだる。鉄柱から約15分も下ったところに左元山上、右宝山寺と刻まれたかなり時代を経た感じの 石柱がある。どちらからどちらに向かう旅人のための道標かその目的が理解しにくい感じではあったが、道は十字路になっており北方向と東方向へはしっかりと踏まれた小道が 続く。真っ直ぐ東方向に進むと、小さなケルンがあったり、みちの北側に石碑があったりするのを見ながら下ることスカイラインより1時間15分程で近鉄南生駒駅に出る。
見晴らしは全くきかないが、よく踏まれており、斜度も程ほどで、ゆったりした里山歩きが楽しめるルートである。


                                                                              09/2012