世の中は本当に進歩いたしました。人が月に行き、遠い外国で今起こっている事をリアルタイムに映像で確認することも 当たり前になりました。産婦人科の分野では、人の体から精子や卵子を取り出して体外で受精させ、また人の体に戻し 発育を待つことなど、珍しいことではなくなりました。
しかし、しかし、不思議な事に人がお産をするというこの行為は、クレオパトラの時代、いやいや、もっと大昔の時代から 現在にいたるまで、全く変わってはおりません。
女性は待望の”おめでただ”と解ったときから十月十日、正確には最終 月経の初日から280日の間、ひたすらお腹の赤ちゃんが健やかに、五体満足に、立派に育ってくれるようにと、努力に 努力を重ねながら、その日の来るのを待つのです。
280日目前後になりますと、またある日突然、お腹が周期的に張る ようになり、また破水が起こりお産が始まるのです。更に、この時から初産の人で平均15〜16時間、額に汗し、最後の 力を振り絞ってようやく待望の赤ちゃんのお顔に対面することができるのです。
この赤ちゃんのとの対面までの道のりは、何千年の時の流れの間にも、王侯貴族の女性でも、我々庶民の女性の場合でも、何等変わることなく日常的に繰り返されて参りました。何千年もの昔も今も、そのスタイルが全く変わっていない とは、他の分野の驚異的な進歩を見るにつけ、俄かには信じ難いお話ですね。
薬も、機器も、監視装置も全くなかった時代ですら、人が滅亡することもなくベビーちゃんは次々に生まれてきたのです。健やかに生まれ、元気に育つ率は勿論、今と比べようも無く低かったことでしょうが。
それでも人類は滅亡することも なく、繁栄し続けられたという事は、大部分のお産では人工的な介入が必要でないことを物語っているのだと思います。
しかし、このことは、進歩した現在の薬学、技術、監視技術を否定するものでは全くありません。このような近代的な知識や 技術はおおいに取り入れた上でなお、お産は自然の流れのままの進行を待ち、むやみに人工的な介入をしないという ことが一番大切なことなのでしょう。
大部分のお産は、時が来れば自然に始まり、快調に進行し、時間さえ急がなければあの狭い産道をいためることも無く下降し、あの小さな出口はゴムのように伸展し、信じられないほど大きな児頭が事故なく通過してくるのです。
知識、 技術の習得以前に,お産をお世話する人々は、細心の注意を払いながらも、ただただ待つ心と技と忍耐の習得が必要 なのだと考えます。
しかしながら、このことを習熟している産科医、助産師は、驚くほど少なく、そのようなことに目を向けたこともない方々も 少なくないように思えます。また、充分承知はしているが、とてもじゃないがそのようなことに付き合っていたら、ほかの
仕事に手が回らない、時間がいくらあっても足りないからと、手っ取り早い手段に走っている医療施設が如何に多いことで しょう。
新しい家族を迎えようとする人々が、産科医が、助産師が、そして出産に関わる職場で働くすべての人々が、人が出産すると いうことを、そして、人の体に備わった出産能力というものを、今一度原点に立ち返りしっかり見つめなおし、充分に理解した上で、お産に臨まなければなら ない時が来ているのではないでしょうか。